ダイビングショップココナッツ

東日本大震災復興支援プロジェクト

東日本大震災支援活動

 震災から1年経った2012年3月9日から11日の日程で宮城県にある十三浜と言う港で水中清掃活動を行ってきました。いろんな意味でこの時に行きました。ココナッツのお客様40名とスタッフ、賛同してわざわざ名古屋から参加してくださったダイビングショップ・ソットマリノ様とそのお客様とスタッフの方で約50名のダイバーと陸上のガレキの引き上げを担当してくれたボランティアの方々で総勢100名近くになりました。震災で流された色々な物を水中から引き上げ、2日間の作業を行いました。 昨年から続けてきた私達のガレキ撤去活動はいったん一区切りとし、別の形で支援を続けていきたいと思っています。
東日本大震災復興支援活動

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<復興支援活動時系列>

2011年3月19日ココナッツはダイビングスクールですけど?!

 ココナッツに一本の電話が入りました。 被災地に送る経口補給水。病院などで、不足している物資を千葉県内の倉庫から多摩市の基地へ運搬して欲しいという、救急医療総合研究機構依頼からの依頼でした。「なんで?どうして?ダイビングショップにそんな依頼がくるんだろ??????」?いっぱいでした
 その日のうちになんとかスタッフと車、男性11名、車5台を確保。災害後、車の燃料を確保するだけでも大変でした。スタッフのネットワークを使い、ガソリンや軽油を手配出来たのが午後になってからでした。その後、倉庫を見つけるのも一苦労で夕方まで見つかりませんでした。何せいろんな事が混乱していた時ですから。 いざ積みこむとなった時も物凄い量で、その量なんと280箱3.6トンにもなりました。途中、信号が消えたり大渋滞やらで家に帰ったのが真夜中でしたが、少しでも被災地で頑張っている方の役立てればそれでよし。 ちょうどスマフォに変えたばかり、マップアプリは大活躍でしたが、途中でバッテリー切れの速さにびっくりした思い出があります。私なんかは休みの日に訳もわからず呼び出されたのですけど!古川

2011年3月21日 日本の危機だ

 ダイビングショップ ココナッツの支援活動の始まりは、弊社社長の「日本の危機だ」の一言からでした。
 現地で必要になる物は車ではないかと考えココナッツのマイクロバスを夏まで現地で使ってもらおうと考えました。すぐに現地の消防所や市役所、支援団体各所に連絡を入れて提供先を探しました。石巻の専修大学内に設置されたボランティアセンターで使用することが決まり。 4月から3ヶ月間、軽油を買えるだけ買って積み込み、ココナッツのマイクロバスを被災地での移動手段として提供したのが始まりです
最初の復興支援

2011年9月7日ー9日 初めての現地入り

 今、私達が出来る事をしよう!! でも、私達に何ができるのか、何をすればいいのか、その為にはどうすればいいのか!わかりませんでした。そんな時、スクーバ組合から現場の視察に同行を誘われる機会を頂き、 宮城県気仙沼の唐桑半島と気仙沼湾内にある有人離島の大島にカーフェリーで訪れました。 なにぶん初めての気仙沼、テレビでしか現状を知りません。本当に潮が満ちてくると、さっき通ってきた道が通れないのです。ナビがまったくあてにならない。
ダイビングライセンス「PADI」

 東北道は道のウネリや陥没箇所、無数の工事、通行規制、現地へただ行くだけも結構な時間を要しました。 
2011年9月この最初の視察の時、何箇所か海に潜りました。潜水士の方の作業の様子を記録したり、サポートを行いました。まずは、テレビなどで放映されていた気仙沼の海に入りました
ここでは、魚群探知機に何か長いものが写っているのでそれが何かを見て欲しいという依頼でした。今、思うとぞっとする体験です。
 潜水士の方2名と私はそれほど、身構える事もなく普通に漁師さんが投げ込んだ細いロープを頼りに潜降していきました。けれど、もう一人のスタッフは海の中へ入ると自分の水中ライトがつけられない程、怯え始めました。あとで考えるとそれが普通の反応だったんですね。水面の透明度はわずか40センチ程度、伸ばした自分の手が見えません。普通のダイビングでは、水深5メートルも下へ潜れば透明度が良くまります。そう考えて降りていくと、いつまでたっても見えないばかりか、ライトの光すら顔に近づけないと確認できないほどになりました。
 
 ロープがなければ上下左右の感覚すらありません。水底についたことはわかりましたが、深度計も読めず、何もできないまま浮上するしかありませんでした。あとで思うと、万が一ロープが切れたり、手を離したり何かに絡まったりしていたら、誰にも助けらない状況だったのです。なにせ、海の中がどうなっているのか全くわからない状態ですから。ちなみのこの時の水深を後でダイビングコンピューターで確認すると35メートルでした。

 たまに、ダイビングで一番怖い経験はと聞かれることがありますが、普通のダイビングでは本当にないのですが、この時の活動が後にも先にも一番危険な体験でした!気が付いてそう思ったのは、何年も経ってからの話ですけどね。 古川

2011年9月19日ー22日 第1回

 現地に先に入っているスキューバダイビングによるガレキ撤去を行っているボランティアダイバーの方と初めて合流、簡単な自己紹介を行ったあと、まずは海の様子を見てくださいという事で直ぐに港の中へ潜りました。  
こちらで行っている支援活動内容は、港や漁師さんの要望により様々です。養殖用筏の周辺の調査や、再生可能なボートのエンジンや水中で環境破壊につながる恐れのある車やボートのバッテリーの回収、漁具の回収、ボートの運行に障害となるロープの回収と撤去など、様々なニーズがあります。この日の透明度は運よく3~8メートル程あり、かなり良好なコンディションでした。それでも、やはり堆積物が多いため、一度水底に触れるとすぐに視界はなくなってしまいます。
クリーンアップ ガレキ撤去
海に沈む車 海に沈む車
 最初は、水深5~15メートルの幅で捜索を開始。水中には、まだまだ多くのガレキが残っていましたが、まずは依頼を中心に行ないます。 バッテリーは結構大きなものが沈んでいて、プレジャーボートの人達がボートを止める(係留)時にイカリ代わりに使っているようです。もし中の液体等が海中に溶けだせば即、環境破壊に繋がるので回収します。
 この時のダイビング時間は70分でした。回収しては引き上げるといった繰り返しです。 2回目のダイビングでは、捜索範囲を水深15~20メートルに広げて捜索をスタート。すり鉢状の小さな湾のような港内なので、流されたものがその中心に集まるのではないかと考え、まずは中心付近を目標に向かいました。水深20メートル付近でしばらく捜索を続けると、視界に車が入ってきました。見た目には大きな変形などもなく、原形をとどめた状態で沈んでいました。車内も確認しました。これはさすがに回収できないので、マークを付けておきました。 この日は他にバッテリー、漁協のスクーバタンク、ロープなど再利用可能なもの等々の回収を行ないました。
 一日の作業を終え、車に乗り込み帰ろうとすると・・・1日中降り続いた雨と地盤が沈下していたため、マイクロバスを止めておいた下の土が一気に泥沼のようになっていて、前にも後ろにも進むことができない状態になってしまいました。現地での経験不足でした。いろいろやってもダメでした。結局、その日はそのままにしておき、また次の日にチャレンジして、他の方の手を借りながらようやくスタックから脱出することができました。

2011年9月26日ー29日 第2回

 少しづつ現場の様子がわかってきましたが、ご年配の漁師さんが話している方言は相変わらずさっぱり分かりません! 今回の支援活動内容は、港から船を出し入れ出来るように船着場のガレキ撤去のお手伝いでした。
 あっという間に軽トラ2台分のガレキが集まります。 他に沖合に定置網を設置するために水深35Mの水底に障害物がないかどうかの調査の依頼もありました、ここではサーチアンドリカバリーで使用する円形ロープサーチ法をチョイス、深さもあり、あまり広範囲の調査ができませんでした。
この深さではダイビングコンピューター許される滞在時間は10分程度、少しでも広い範囲の確認がしたかったのでみんなで猛ダッシュで泳ぎました。
東日本大震災

2011年10月3日ー6日 第3回

 宮城県気仙沼市唐桑半島にて、定置網を設置する場所の調査ダイビング(水深30M 水底の透明度は1M前後でした)とガレキ撤去でした。午前中だけですぐに軽トラック2台分に。三越の大理石の像はこの半島の大理石らしいデス。
 余談ですが、千昌夫さんが子供の頃、この地へ遊びにきていたそうです。子供の頃よく一緒に遊んでいた。と漁師さんがお話してくださいました。  
 同じ港に車が沈んでいるかもしれないとのことで、捜索作業のダイビングをしました。ナンバープレートのついた車を発見して報告をすると、所有者は財産としての補償が受けられることになるということでした。今回は残念ながら車は見つかりませんでしたが、ガレキは多数見つかりました。水深は8~20mでした。
東日本大震災

2011年10月11日ー13日 第4回

 宮城県気仙沼市唐桑半島にて 私達が着くころにはすでに6~7隻程のボートに漁師さん達が分乗して、海の中の様子や、ガレキ状態をチェックしているようでした。ダイバーチームは2つに分かれて、片方は少し沖合の水中のチェックとガレキの撤去、もうひと組は、岸近くに沈んでいる家の屋根の撤去作業にあたりました。
 この屋根が畳6枚ほどの面積で、引き上げのためにロープをかけるのも大変でした。船上の漁師さん数名で屋根を水底から浮かせている間にロープを回して結び付け、そのままボートで沖合まで引っ張って移動。途中、その大きさのためロープが外れ、もう一度結び直し、なんとか撤去ができました。
  海の中には生活用品、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、自動販売機などから漁港の作業場の屋根の様な鉄製のひしゃげた枠組み、車など沈んでいました。7ヶ月経ってもなお水面には油のにおいがありました。
スキューバダイビングで復興支援 ガードレールの残骸

2011年10月17日ー20日 第5回千葉テレビ同行

宮城県気仙沼市唐桑半島にて
 私達と一緒に海に入る事を条件に千葉テレビのカメラマンも同行が許可されました。
この時はまだ、水中の様子はほとんど報道されていませんでしたので貴重な映像でした。港内のガレキ撤去を行いました。 初めてお手伝いする場所でした。実はここ唐桑半島だけでも、大小合わせると20近い港があり、それぞれ漁を営んでいました。まだまだ、ダイバーが入っていない場所もたくさんあるようです。
 集合場所に行くと、そこには20人程の漁師さんたちがすでに集まっていらっしゃいました。挨拶を済ませ、一日の流れを確認して、私たちは2つのバディに分かれ、漁師さんたちの船に乗り込み、それぞれの場所で水底の様子のチェックとガレキ撤去の作業を開始しました。
場所によっては、家の屋根がそのまま残ったような状態で沈んでいるところもあれば、津波の方向のためか小さなガレキだけで比較的きれいな場所もありました。少しずつ、透明度も良くなり、魚も増えてきているような感じがしました。 今回は集中して一ヵ所で作業するというよりも、港の中の広い範囲で確認とガレキ撤去を行なうような感じでした。車一台と、再生できるかもしれない船外機(船のエンジン)を3機、ちょっと大きめの金庫と小さめの金庫なども見つかりました。金庫は警察に報告され、簡単な調書の作成も行なわれました。担当の組合の方に写真を見せていただいたのですが、この地区も震災の時は、気仙沼から様々なものが流れこんできたようです。火のついた船や家などが小さい港の中に流れ込んでいる様子でした。3日間で合計8回のダイビングによる作業をお手伝いさせていただきました。
千葉テレビ同行復興支援 千葉テレビが同行取材

2011年10月24日ー27日 第6回

 宮城県気仙沼市唐桑半島にて
今回はスタッフとお客様(潜水士免許保持者以上ランクです)で合計7名にてガレキ撤去作 業ダイビングを行いました。新たに水中で車数台など発見し報告しました。6週間にわたって行なわれた宮城県気仙沼市唐桑半島での支援活動は、10月末で一区切りをつけさせていただくことになりました。
 なんだか少し寂しい感じがします。漁師さんたちからは、「また志願して唐桑においでよ!」なんて声をかけていただいたり、宿泊でお世話になった《リアス唐桑ユースホステル》のオーナーも、作業現場に何度も見に来てくださりました。
余談ですが震災後このリアス唐桑ユースホステルに初めて利用したゲストが私たちだったそうです。オーナー曰く、今までも宿泊を希望する人が何人も連絡があったそうですが、全部断っていたそうです。私が電話した所、オーナーになぜか気に入って頂けたようで宿泊する事ができました。
唐桑半島ユースホステル

2011年10月31日ー11月2日 第7回

 宮城県の奥松島へ場所を移しお手伝いさせて頂きました。
半年以上たってもまだまだ、新しいガレキは流れ着いてくるようです。ガレキの撤去作業と「石版」の捜索も行いました。 「石板」というのは地元の漁業の発展に貢献した方を称える石板で津波で海の中に落ちてしまったもので、地元の方はできることなら見つけて引き上げて欲しい、復興に向けてその石板を掲げたいという要望がボランティアセンターの方に寄せられました。これは、心の復興支援だと思います。
31日、現場に到着したのは夕方でした。この日は、津波の方向を考慮し、捜索範囲の確認と手順の打ち合わせのみ行ない、センターへ戻りました。
 11月1日の午前中は、宮戸島周辺での復興支援活動のために、ココナッツで準備したコンプレッサーの設置と使用方法、注意点を現地の方に説明し、タンクにチャージを行ないました。そのタンクを車に積み込み、亘理郡亘理町の荒浜港へ一路向かいました。 捜索は、現地ボランティアセンターの方1名とココナッツスタッフ3名、合計4名で捜索を行ないました。石版の大きさは、約畳一畳くらいでその重さは約800キロ。ダイビングの前に捜索手順の確認を行ないました。透明度は1mもない状況でした。にも関わらず、現地ボランティアセンターの方が何回か素潜りのように潜ったところ、いとも簡単に発見してしまいました。ちょっと肩すかしの気分ですが、なにはともあれ見つけることが一番です。そのまま、引き上げ作業の段取りと日を決め、この日は終了しました。
 11月2日は復興支援のお手伝い予定の、東松島市の宮戸島へ行きました。海の中の現状をまずは聞いて、その場所の確認のためにダイビングしました。いくつか養殖筏のアンカーを見つけたので一緒に回収してきました。このアンカーは新しく作ると、ひとつ数万円もするそうです。 今回の石版の回収や少数のアンカーの回収など、行政ではなかなかできないこともダイバーならできるのです。
東日本大震災復興支援スキューバダイビングで出来る事

2011年11月7日ー9日 第8回

津波によって海へ流されてしまった、港の発展に貢献した方の記念石版を「復興のシンボルにしたい」という方達の依頼があり、私達もお手伝いさせて頂きました。 今回はガレキ撤去が主な目的ではありません。津波によって海中に流されてしまった石版の引き揚げ作業をお手伝いさせていただきました。この石板は、町の発展に大きな貢献をされた方を称えるために町の方たちで建てた石版です。現地ボランティアの代表の方もおっしゃっていましたが、こういった町の方が望んでいる事をするのも復興支援だと思います。既に前回に来た時に目印を付けておいたので、8日の最初の作業は埋もれた石版を完全に露出させ、周りの状態の確認と引き上げの際に障害となりそうなガレキの撤去を行なうことでした。 石版露出のために水中スクーターを使いました。スクーターの水流で比較的軽い堆積物を吹き飛ばし、重い物を移動させ、石版の上を綺麗な状態にしました。一つの作業をするたびに視界はほぼ0になります。そのため、視界が良くなるまで少し待ち、次の作業を行なうという繰り返しでした。スクーターの水流を使い、濁った水を押し流したり、吸いとったりすることで作業の時間を短縮することができましたが、5名で約40分間の時間がかかりました。 その後、周囲のガレキの撤去を行ないました。12時から始めた作業も、日が暮れる16時近くには大体回収し、次の日の引き上げの作業に備えることができました。 9日は、10時に現地集合し、引き上げ方法と手順の確認、役割分担、合図の仕方を確認後、作業開始!! 重機を操縦される建築業の方、ボートを出してサポートしていただいた漁師さん、陸上の準備や手伝いをして下さったボランティアの方々との連携で、石板は見事に、そしてスムーズに回収することができました。この石板は生活のためにはなくても困らないのかもしれません。でも、町の人が望んでいることなのです。そんな石版のために、普段はバラバラに復興のために動いているのに、ひとつのことをみんなで協力して行なう。とても素晴らしいことだと思いました。
石板回収スキューバで出来る復興支援

2011年11月11日ー13日 第9回

 東北は宮城県の奥松島にある宮戸島に行って来ました 津波で流された物の回収をお手伝いしてきました。同じところに潜っても必ず新しいガレキが流れ着いています。東北の伊豆と地元のガイドブックには紹介されていますが、いやいや負けず劣らず美しい風景のところです。 今回は一般のメンバーも交えて行いました。そろそろ風が強くなる季節になってきました。伊豆ではこの時期から透明度が良くなる季節なのですが、こちらは反対に悪くなる季節のようです。 今回は海の状態が悪化し、予定していた作業はできませんでしたがその代わりに地元の食堂へ行ったりお土産を購入するのも支援の形と思い皆さんと回ってきました。
東松島復興支援ダイバーが出来る

2011年11月26日ー27日 第10回

東北は宮城県の奥松島にある宮戸島にて この時はPADIプロフェッショナルメンバーのココナッツゲスト2名もご同行頂きガレキの撤去活動を行いました。前の週にも行ったのにガレキはなくなる事はありませんでした。  私、古川は9回目の活動まで参加し、延一月近く宮城県にいたのですが、人の暖かさと心の強さなどに触れることができました。私、古川にとって、とても貴重で濃密な体験となりました。
東日本大震災スキューバダイビングによるガレキ撤去

この年のお歳暮は、宮城県唐桑半島の海産物セットにいたしました!

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宮城県気仙沼市唐桑半島の漁協より直接お取り寄せして発送

追記

古川です。延1ヶ月間50回以上のダイビングを行いました。少しでも水底を巻き上げるとあっという間に視界不良になってしまう状態、何度もガレキを持って浮上、限られた資材・器材でのダイビング、タイヤのパンク交換したし修理も自分で行ったりいろんな経験することによって、当時ダイビング歴24年(当時)の私のダイビングスキルが上達しました。20年以上もダイビングをしてきたのに自分でも分かるくらいでした。
ある程度のベテランダイバーになるとスキルアップに興味がなくなったり、もうこれ以上、上達しないとか思ってらっしゃる方もいるかもしれませんが全然そんな事はありませんよ。ちょっと気にするだけでスキルはどこまでも上達する事ができると思います。また、サーチアンドリカバリースペシャルティコースのテクニック・知識も役に経ちました。
この経験をこれからのダイビングスクールやツアーに活かしていこうと思います。現地でのスキューバタンクへ空気の充填を快く引き受けて下さった宮城県石巻に本社をもつMOBBY`S(日本を代表するスーツメーカーです)様他、支援をして下さった皆様にもお礼を申し上げます。
東日本大震災スキューバダイビングによるガレキ撤去

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